株式会社かゞみや:木瀬 將盛

地域社会への報恩と
「誠の商」の継承

株式会社かゞみやは、創業以来「感謝の商」を不変の指針に掲げ、七十余年の星霜を重ねてまいりました。弊社の屋号は、古くは先祖が鏡師を業としていたことに由来いたします。「鏡」が万物をありのままに映し出すが如く、虚飾を排した「透き通った正直な誠の商売」を貫くこと。これこそが、私たちが代々守り続けてきた矜持でございます。

私たちは、単なる土産物品の販売業に留まるものではありません。福井という風土が育んだ豊かな食文化や伝統を「うまいもん」という形でお預かりし、次世代へと繋ぐ「地域の文化伝承者」としての社会的責任を自覚しております。

昨今の急激な社会情勢の変化にあっても、私たちは決して驕ることなく、地域経済の活性化と郷土愛の醸成に寄与すべく邁進する所存です。福井の魅力を多角的な視点で発掘し、贈答という文化を通じて人と人、そして地域と全国を結ぶ架け橋となること。それが、長年支えてくださった地域の皆様への最大の報恩であると確信しております。

今後とも、変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

会社概要Company Profile

名称
株式会社かゞみや
所在地
〒910-8678福井県福井市中央1丁目2-8
ご連絡
  • TEL:0776-26-7000
  • FAX:0776-26-7002
設立
昭和28年10月1日
代表
木瀬 將盛
適格請求書事業者登録番号
T3210001000719

沿革History

  • 祖先

    • 安土桃山・江戸時代

      • 鏡師として京都に在住。初代福井藩主 結城秀康と共に鏡師として福井に移住。
  • 開業

    • 明治時代

      • 12代 木瀬長平衛、田原町にて海産物小売り盛業。
        『明治維新の変革の中で、代々つづいてきた鏡師の家から新しい生活の手段として、薬屋・紙屋などに枝分れして行った。』
        『三国まで人力車で仕入れに行った商品は足羽川を遡って陸揚げされ、田原町のかゞみやへ運ばれた。』
        『一点の曇りも許されない澄んだ鏡の心を心として商おう・・12代目木瀬長平衛が名付けた屋号は"かゞみや"であった。 』
    • 明治39年

      • 長者町に移転。
      • 木瀬すて(故前々会長)生まれる。
        開業
  • 支店

    • 大正8年

      • 日の出元町に支店開店(第一次世界大戦後のインフレにより物価が高騰し、大正9年には、福井市が日の出町に公設市場を設けている。)
    • 昭和3年

      • 木瀬矩道(故前会長)生まれる。大手町8番地に本店移転。
        『昭和3年の春、福井駅前の空き地が俄かに活気を帯びてきた。 だるま屋が百貨店第一号として誕生したのもこの年である。 だるま屋前の壕跡が埋め立てられ、売りに出されていた。 「お父さん、 もうこれからの時代は駅前に出なければ駄目です。駅前へでましょう。」 生まれたばかりの長男(故前会長)のおむつを替えているすての耳に、長兄の熱心な言葉が聞こえてきた。 ああ、また兄さんのおはこが始まった・・愛児を抱きながら忍び笑いをした彼女はおやっと思った。 父のいつもの反対の声が聞こえないのである。 今日はよほど機嫌がいいに違いない。明治の始め田原町に創業したかゞみやは昭和3年、 こうしてだるま屋前に現れたのである。』
    • 支店
  • 戦災

    • 昭和20年

      • 7月 空襲のため店舗焼失。
        『焼け野原になった福井に陳開先から戻った木瀬すて(故前々会長)はまず食べてゆくために商売を始めなければならなかった。 焼け残った蔵の中に"カンテン"があり、 これでゼリ一を作って売ったのが、今日の(株)かゞみやの第一歩であった。』
      • 12月 日の出公設引場にて「かゞみや分店」事業開始。
        『見渡す限りの焼灼野原で、 第ーどこから何が仕入れられるのか。 その時会長の頭に浮かんだのは、娘時代から帳場に座って眺めていた 仕入れ伝票の文字であった。 串田利兵衛(富山の塩蔵物)、富田の一ヨ(伊勢のだしじゃこ • 干鰯)、 中道金蔵(敦賀り干魚)。 すての父が開拓し、戦時統制まで夫が受け継いで育ててさた商人同志の信頼・・・それは敗戦の滉乱の中では誠に覚束なくわもわれたが、 丸裸で出発する今、 頼れるものはそれしかなかった。 会長の書いたメモを持ち、仕入れに出かけた長男(故前会長)が帰ってきて伝えた言葉は、木瀬すて(故前々会長)に強い衝撃を与えた。「あなたのお父さんは、本当に良い品を本当に愛して下さる方でしたね。 私共は何時でも一番良い品が入るとすぐ、"かゞみやさん行き"という荷札をつけたものです。」その言葉は長男(故前会長)が訪れるどこの問屋でも、不思議に同じであった。 そして皆即座に発送してくれたのである。 その時、木瀬すて(故前々会長)は商人の遺産は金銭ではなく篤い信用であることをしみじみ噛みしめた。 今でも、これらの方々の御恩を忘れず故前会長が度々訪問している。』
    • 戦災
  • 設立

    • 昭和28年

      • 8月 御園町8番地に鉄筋3階建ビルを建て、店舗移転。(現 駅前角進物店)
      • 10月 「株式会社かゞみや」を設立。
    • 昭和31年

      • 12月 日の出元町50番地に腐庫新設。
    • 設立
  • 進物

    • 昭和33年

      • 6月 角店2階に進物売り場新設。
  • スーパー

    • 昭和36年

      • 6月 県バス質材部跡に日常食品部を移転、かゞみやフードセンターとする。角店2階進物部を陪下に移す。
      • 7月 倉庫を鉄筋5階建に改築。
      • 8月 かゞみやフードセンターにセルフサービス方式を取り入れる。
        『昭和33年に角店にてセルフセレクションをやったが、みごとに失敗。半年でやめ。それからまたセミナーに通って勉強。県バス跡を市場(マーケット)にするということを闘き、頼んで売ってもらったのがユースの始まりとなったのである。』
    • 昭和37年

      • 10月 武生市幸町4番地に武生フードセンター開店。
      • 12月 福井駅前に惣菜製造販売のデリカセンター開店。
    • スーパー
  • 分離

    • 昭和38年

      • 9月 町屋町にユース北店 開店。
        『本格的スーパー1号店として名前を公募。 定価販売の進物部との区別もあり、かゞみやの文字をとって新しいユースになる。』
      • 10月 全フードセンターの名称をユースと改める。
      • 12月 森田町団地にユース栗森店開店。
    • 昭和39年

      • 6月 城之橋上町にユース東店開店。
        『前年に開店した北店は本枠的スーパーで人気を呼び、東地I団の人々から待望の声を間いての開店であった。 ドアも自動ドアー、これと同時に駅前角進物店も自動ドアーとなる。しかし、この動ドアーは、まだ出たての頃だったので、よく故障したものであった。』
    • 昭和40年

      • 9月 商品センター建設。 スーパー部門、本部一括仕入制とする。
        『これまでは各店で何もかもやっていたので、店長はじめ皆さん非常な苦労でした。魚や肉の売り場も、包丁を握るのは専門家の職人さんで、営業時間中でもぶいっと外へ出て行ってしまうので、店長の苦労は並大抵のものではありませんでした。』
    • 昭和41年

      • 4月 進物広小路店とユース武生店を幸町1番地に移転拡張開店。
        『スーパ一を拡張したいといっている時、北陸電力の方から武生の営業所の移転というお話を聞く。 公的なものなので入札になるが・・ とお声をかけていただいた。 入札に行った社長(故前会長)とユ一ス社長は相談し価格を一旦決めたが、 どうしても欲しいのでもう少し上積みしようということになり、結果みごと、落札させていただけました。』
      • 6月 進物駅前店・ユース駅前店 日曜営業開始。
        『6年前より日曜は全店休業でありましたが、お客様の強い御要望と、駅前店としての状況変化により実施することになった。』
      • 9月 (株)木瀬産業を設立、福井駅前のKiマートをチェーン店にする。
      • 11月 大手3丁目絨協ビルにまるせん進物店とユースまるせん店を開店。
    • 分離
    • 分離
    • 分離
    • 分離
  • ベビー

    • 昭和41年

      • 12月 木瀬産業Ki店の2階に、かゞみやベビーセンター開店。
  • グループ

    • 昭和42年

      • 8月 福井市足羽l丁目にユース足羽店を開店。
      • 10月 株式会社かゞみやの組織を変更し、かゞみやグループ3社に分ける。
        • 株式会社かゞみや
          福井駅前角店/武生進物店/まるせん進物店/ベビーセンター
        • 株式会社ユース
          武生店/北店/栗森店/東店/まるせん店/足羽店
        • 株式会社木瀬産業
          駅前フードセンター/Kiフードマート/デリカセンター
    • 昭和44年

      • 7月 福井駅前木瀬産業フードセンターの所にビル(隣りのひまわり書店他と共同)を新築。1楷フードセンター、2階ベビーセンター (Ki店2階から移転)、3階事務所とする。
        『この1階には、イースターカーテンが取りつけられ、夜でも中が見えるというモダンな店先になりました。ただ、駅前なので酔っ払いによくガラスをわられたり、こわれたりしました。』
      • 12月 武生店、ユース武生店と共に武生市国府1丁目に新築移転。
  • 20周年

    • 昭和48年

      • 11月 福井市御幸町にみゆきショ ッピングプラザ建設。 1陛ユースみゆき店、 2階かゞみやギフトセンター、かゞみやベビーセンター みゆき店。
  • S.C

    • 昭和50年

      • 9月 福井市二の宮町 新田塚ショッピングプラザ1陛に新田塚店、 2階にベビーセンター新田塚店開店。
    • 昭和52年

      • 11月 ショッピングタウン・ピア2階にピア店開店。 まるせん店閉店。
        『ピアに出店するのに新店では出られず、旧店(まるせん店)を振り替えるという形にしなければならなかった。』
    • 昭和53年

      • 1月 ベビーセンターを分離
    • 昭和55年

      • 4月 ショッピングシティ・ベル1階にベル店開店。
    • 昭和57年

      • 3月 武生店 改装開店。カタログ販売「シャディ」取扱開始。
  • 30周年

    • 昭和58年

      • 3月 木瀬すて前々会長 亡くなる。10月30周年行事。
        『会長の死はかゞみや、ユース全グループにとって非常に大きな悲しみであった。しかし、会社設立30周年を迎え、新しい一歩を踏み出すべく、県民会館でお客様を迎えての記念行事などを行い、これからも福井のお客様のためにお役にたつ商いをしてゆくことを確認した。この記念行事は「今いくよ・くるよ」らのタレントを呼んでの演芸会であったが、 後日、 この模様がラジオても流され、話題を呼んだ。』
      • 駅前角店 改装。
        『このビルも30歳になった。』
    • 昭和59年

      • 7月 鯖江市 神明ショッピング アゼリア 1階にアゼリヤ店開店。
      • 9月 みゆき店 改装。
    • 昭和60年

      • 10月 ピア店 拡張改装開店。
        『売場面積が2倍になり、店頭に厨房設備も備える。』
    • 昭和62年

      • 11月 配送センター新築移転。
        『元ユース東店(昭和39年開店)であった建物を、 昭和48年にみゆき店ができてからユース東店は閉めかゞみやが配送センターとして使っていたが、建ててから23年もたち、以前より手狭になっていたので同じ町内の中の1丁目から4丁目という近い所に移転した。』
    • 木瀬すて会長