かがみや



じかに種(たね)まきせんもんじゃ

 むかしむかしのこっちゃ。

 学校に、おばんが来て、先生を呼んどらす(よんどらす)んや。

「先生、先生。先生おらんせんか。」

「おばんか。何や(なんや)えの。」

すると、いきなり、

「学校は、じかに種まきしくさったな。」

と、大声でどなるんやと。なんのことやら、わからんで、

「なんやって?もっぺん言うて。」

と、問い返した(といかえした)んやと。

「わりゃ、学校の田んぼ作っとんやろ。その田んぼに、じかに、種まいたやないか。」

と、泡(あわ)をとばし、食いつかんばかりにどなるんや。さて、先生にゃ、何(なん)のことかさっぱりわからん。前(まえ)の日に、のしろ(苗代:なわしろ)に種籾(たねもみ)をまいたとこやった。ほんで、

「じかに種まいたら、あかんいうたって、籾種(もみだね)はじかに蒔く(まく)もんと違う(ちがう)んか。」

「違うんじゃ。じかに蒔いたらあかんのや。」

「あかん言うたって、じかに蒔かなんだら、天(てん)にでも蒔くんか。」

おばんは、すごいけんまくで、

「おんどりゃ(お前:おまえ)なした悲しい(かなしい)ことしてくれたんや。」

といいながら帰って(かえって)いったんやと。その後ろ姿(うしろすがた)がひどう淋しげ(さびしげ)やった。他(ほか)の先生に聞いてみたけど、かいもく、見当(けんとう)がつかん。

 ほんで、先生は家に帰って、おやじに話したんやと。

「今日、学校へ、おばんが“じかに種まいた”言うてどなりこんでござんしたけど、ありゃ何やったやろ。」

「そりゃ、じかとは地と火と書くんじゃ。地火(じか)に種まくと、種が焦げて(こげて)芽(め)を出さんと言うこっちゃ。

「へえー。そうやったんか。」

さすが親父(おやじ)は、よう知ってたんやな。

「天地(てんち)の恵み(めぐみ)で豊作(ほうさく)の喜び(よろこび)にもなるけど、凶作(きょうさく)や、不幸(ふこう)も天地の業(ごう)や。忌み(いみ)きらう、地火の日に種を蒔くのは、天地を恐れぬ (おそれぬ)狂気(きょうき)の沙汰(さた)や。」

「ああ、そうか。そのあたりのことを案じた(あんじた)ことやったんやな。」

先生は、やっとわかったんやといな。

 ◎じか(地火):暦中(こよみちゅう)の一(いち)、地に火の気(ひのけ)があって、土工(どこう)、種蒔き、植樹(しょくじゅ)などを、忌む(いむ)という日。

話者:時岡 兵一郎  再話者:坂下 淳子  採話地:大飯町尾内


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